はじめに
VCとの交渉が進むと、**タームシート(Term Sheet)**が提示されます。これはM&AにおけるLOI(基本合意書)に相当するもので、投資の主要条件を記載した文書です。
多くの創業者は「投資額とバリュエーションだけ見ればいい」と思いがちですが、タームシートには創業者の経営権、持株比率、エグジット時の取り分に直接影響する条項が数多く含まれています。
1つの条項を見落としただけで、数年後に「あの時ちゃんと読んでおけば…」と後悔することになりかねません。本記事では、タームシートの全条項を一つずつ解説します。
タームシートとは
基本的な位置づけ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 定義 | 投資の基本条件を記載した文書 |
| 法的拘束力 | 原則なし(独占交渉権・秘密保持を除く) |
| 提示者 | 通常はVC(投資家)側が作成 |
| タイミング | DD前またはDD並行で提示 |
| ページ数 | 5〜15ページ程度 |
**タームシートはあくまで「条件の概要」**です。最終的な契約書(投資契約書・株主間契約書)は別途作成されますが、タームシートで合意した条件が契約書のベースとなるため、この段階での交渉が極めて重要です。
タームシートの構成
| セクション | 主な条項 |
|---|---|
| 経済条件 | バリュエーション、投資額、株式の種類 |
| 株式の権利内容 | 清算優先権、配当、転換権 |
| 希薄化防止 | アンチダイリューション条項 |
| ガバナンス | 取締役会構成、拒否権事項、情報権 |
| 株式の移転制限 | 先買権、共同売却権、ロックアップ |
| エグジット関連 | ドラッグアロング、IPO条項 |
| その他 | 独占交渉権、費用負担、準拠法 |
経済条件
バリュエーション
タームシートで最も注目される数字です。
| 用語 | 意味 | 計算例 |
|---|---|---|
| プレマネー・バリュエーション | 投資前の企業価値 | 8億円 |
| ポストマネー・バリュエーション | 投資後の企業価値 | 10億円(プレ8億 + 投資2億) |
| 投資額 | VCが出資する金額 | 2億円 |
| 取得株式比率 | 投資額 ÷ ポストマネー | 20%(2億 ÷ 10億) |
注意すべきポイント:
- プレマネーかポストマネーかを必ず確認する。「バリュエーション10億」と言われた時、プレなら投資後は12億、ポストなら10億で全く持株比率が変わる
- **完全希薄化ベース(Fully Diluted Basis)**で計算されるのが一般的。未行使のストックオプション(SOプール)も発行済み株式数に含める
- SOプールの拡大がタームシートに含まれていないか確認。投資前にSOプールを拡大する場合、実質的にプレマネーが下がる
SOプールの罠
| シナリオ | 創業者の実質的な希薄化 |
|---|---|
| プレ8億、投資2億、SOプール変更なし | 20%の希薄化 |
| プレ8億、投資2億、SOプール10%→15%に拡大 | 20% + 5% = 25%の希薄化 |
SOプールの拡大は投資前(プレマネー)に織り込まれるのが通例。 つまり既存株主(創業者)がコストを負担します。SOプールのサイズ交渉は実質的なバリュエーション交渉です。
株式の種類
VCへの発行株式は**優先株式(Preferred Stock)**が一般的です。
| 項目 | 普通株式 | 優先株式 |
|---|---|---|
| 保有者 | 創業者、従業員 | VC、投資家 |
| 配当 | 定めなし | 優先配当権あり |
| 残余財産分配 | 普通に按分 | 優先分配権あり |
| 議決権 | 1株1議決権 | 1株1議決権 + 種類株主総会 |
| 転換権 | なし | 普通株式に転換可能 |
清算優先権(Liquidation Preference)
タームシートで最も重要な条項の一つ
清算優先権とは、会社が清算・売却された際に、優先株主が普通株主よりも先に投資額を回収できる権利です。
3つの類型
| 類型 | 内容 | 創業者への影響 |
|---|---|---|
| 非参加型(Non-Participating) | 投資額回収 or 普通株転換のどちらかを選択 | 最も創業者に有利 |
| 完全参加型(Full Participating) | 投資額回収+残余を按分で分配 | 最も投資家に有利(二重取り) |
| キャップ付き参加型 | 投資額回収+残余按分(ただし上限あり) | 中間 |
具体例で理解する
前提条件:
- VCの投資額:2億円(持株比率20%)
- 会社の売却額:5億円
| 類型 | VCの取り分 | 創業者(80%)の取り分 |
|---|---|---|
| 非参加型 | max(2億, 5億×20%=1億) = 2億円 | 3億円 |
| 完全参加型 | 2億 + (5億-2億)×20% = 2.6億円 | 2.4億円 |
| キャップ3倍 | min(2.6億, 2億×3=6億) = 2.6億円 | 2.4億円 |
売却額が大きい場合(20億円):
| 類型 | VCの取り分 | 創業者の取り分 |
|---|---|---|
| 非参加型 | max(2億, 20億×20%=4億) = 4億円 | 16億円 |
| 完全参加型 | 2億 + (20億-2億)×20% = 5.6億円 | 14.4億円 |
交渉の鉄則: 非参加型を主張する。完全参加型は避ける。
清算優先権の倍率
| 倍率 | 内容 |
|---|---|
| 1x(1倍) | 投資額をそのまま回収(標準的) |
| 2x(2倍) | 投資額の2倍を優先回収 |
| 3x(3倍) | 投資額の3倍を優先回収 |
日本のスタートアップ投資では1xが標準。 2x以上を要求されたら、それだけリスクが高いと投資家が見ている証拠です。
希薄化防止条項(Anti-Dilution)
ダウンラウンド(前回より低いバリュエーションでの調達)が発生した場合に、優先株の転換価格を調整して投資家の持株比率を保護する条項です。
| 方式 | 内容 | 影響度 |
|---|---|---|
| フルラチェット | 転換価格を新ラウンドの価格まで下げる | 影響大(絶対に避ける) |
| ブロードベース加重平均 | 全発行済株式で加重平均 | 影響小(標準的) |
| ナローベース加重平均 | SOを除いて加重平均 | 影響中 |
フルラチェットの危険性
例:
- シリーズA:プレ10億円で2億円調達(VCは20%保有)
- シリーズB(ダウンラウンド):プレ5億円
フルラチェットの場合: VCのシリーズA株式の転換価格が半額に調整 → VCの持株比率が20%から約33%に上昇 → 創業者の持株比率が大幅に低下
ブロードベース加重平均の場合: 調整は限定的で、VCの持株比率は21〜22%程度の上昇に留まる
ガバナンス条項
取締役会の構成
| 構成例 | 創業者側 | 投資家側 | 独立取締役 | 合計 |
|---|---|---|---|---|
| パターンA | 2名 | 1名 | 0名 | 3名 |
| パターンB | 2名 | 1名 | 1名 | 4名 |
| パターンC | 2名 | 2名 | 1名 | 5名 |
交渉ポイント: 創業者が取締役会の過半数を維持できる構成を確保する。投資家に取締役の過半数を渡すと、経営の意思決定権を失います。
拒否権事項(Protective Provisions)
VCの同意なしには実行できない事項のリスト。タームシートで特に注意すべき条項です。
| 一般的に認められる拒否権 | 過剰な拒否権(交渉で抵抗すべき) |
|---|---|
| 新株発行・SO付与 | 一定金額以上の契約締結 |
| 合併・会社分割・事業譲渡 | 従業員の採用・解雇 |
| 定款変更 | 予算の承認 |
| 清算・解散 | 事業計画の変更 |
| 優先株の権利変更 | 日常的な業務執行 |
日常的な経営判断にまで拒否権が及ぶ場合は、過度に制約的です。 必要最小限に絞る交渉をしましょう。
情報権
| 情報 | 頻度 | 一般的か |
|---|---|---|
| 月次決算 | 毎月 | ○(標準的) |
| 年度決算・監査報告書 | 年次 | ○(標準的) |
| 年間予算 | 年次 | ○(標準的) |
| 資本政策表 | 随時 | ○(標準的) |
| 取締役会議事録 | 随時 | △(投資家による) |
株式の移転制限
先買権(Right of First Refusal / ROFR)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 権利者 | 投資家(VCの権利として設定) |
| 内容 | 創業者が株式を売却する際、投資家が同条件で優先購入できる |
| 影響 | 創業者の株式売却が制約される |
共同売却権(Co-Sale / Tag-Along)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 権利者 | 投資家 |
| 内容 | 創業者が株式を売却する場合、投資家も同条件で参加できる |
| 影響 | 創業者だけ先に株式を現金化することが難しくなる |
ドラッグアロング(Drag-Along)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発動条件 | 一定割合の株主が賛成した場合 |
| 内容 | 全株主に売却を強制できる |
| 影響 | 創業者の意思に関わらず会社が売却される可能性 |
交渉ポイント:
- 発動条件を「普通株主の過半数 + 優先株主の過半数の両方」にする
- 最低売却価格の設定
- 投資から一定期間(3〜5年)は発動不可にする
エグジット関連条項
買戻し請求権(Redemption Right)
一定期間後に投資家が会社に対して株式の買戻しを請求できる権利。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一般的な発動条件 | 投資から5〜7年経過後 |
| 買戻し価格 | 投資額 + 年利○%の利息 |
| 影響 | 会社のキャッシュフローに大きな負担 |
日本ではあまり一般的ではありませんが、海外VCのタームシートには含まれることがあります。 可能な限り排除を交渉しましょう。
IPO条項
| 条項 | 内容 |
|---|---|
| IPOの努力義務 | 一定期間内にIPOを目指す努力義務 |
| 強制転換 | IPO時に優先株が普通株に自動転換される条件 |
| ロックアップ | IPO後の一定期間、株式売却を制限 |
強制転換の条件に注意: 「IPO時の時価総額が○億円以上」の条件が付いている場合、小規模IPOでは転換されず、優先株のまま残る可能性があります。
タームシート交渉の心得
1. 複数のVCからタームシートをもらう
競争環境を作ることが最良の交渉戦略です。1社だけだと投資家ペースの交渉になりますが、複数社あれば条件を比較・交渉できます。
2. 弁護士を必ずつける
タームシートの交渉はスタートアップファイナンスに精通した弁護士と一緒に進めるべきです。弁護士費用(50〜100万円程度)は、不利な条件を防ぐことで何十倍にもなって返ってきます。
3. 経済条件だけで判断しない
「バリュエーションが高い方がいい」は必ずしも正しくありません。
| バリュエーション高 + 厳しい条件 | バリュエーション低 + 緩い条件 |
|---|---|
| プレ15億、完全参加型2x、フルラチェット | プレ10億、非参加型1x、ブロードベース加重平均 |
| 見かけは良いが、ダウンラウンドやM&Aエグジット時に大きな不利益 | バリュエーションは低いが、創業者の権利が保護されている |
4. 交渉可能な項目を知る
| 交渉しやすい項目 | 交渉が難しい項目 |
|---|---|
| バリュエーション | 優先株であること自体 |
| SOプールのサイズ | 情報権 |
| 拒否権事項の範囲 | 先買権の有無 |
| 取締役会の構成 | 秘密保持義務 |
| アンチダイリューションの方式 | |
| 清算優先権の類型 |
5. 独占交渉権の期間に注意
| 項目 | 一般的 | 注意点 |
|---|---|---|
| 期間 | 30〜60日 | 90日以上は長すぎる |
| 効果 | 期間中は他のVCと交渉不可 | 期間内にDD〜契約締結を完了させる |
独占交渉権の期間が長いと、他の選択肢を失うリスクがあります。45日程度を目安に交渉しましょう。
タームシートのチェックリスト
| チェック項目 | 確認ポイント |
|---|---|
| バリュエーション | プレ or ポスト?完全希薄化ベース? |
| SOプール | 投資前に拡大が求められていないか? |
| 清算優先権 | 非参加型か?倍率は1xか? |
| アンチダイリューション | ブロードベース加重平均か? |
| 取締役会 | 創業者が過半数を維持できるか? |
| 拒否権 | 範囲が過度に広くないか? |
| ドラッグアロング | 発動条件に創業者の同意が含まれるか? |
| 買戻し請求権 | 含まれていないか? |
| 独占交渉権 | 期間は妥当か(45日以内)? |
| 競業避止 | 範囲と期間は妥当か? |
まとめ
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| タームシートとは | 投資の主要条件を記載した文書(原則、法的拘束力なし) |
| 最重要条項 | 清算優先権、アンチダイリューション、ドラッグアロング |
| 交渉の鉄則 | 弁護士をつける、複数VCの競争環境を作る |
| バリュエーションだけで判断しない | 経済条件とガバナンス条件のトータルで評価 |
| 避けるべき条項 | フルラチェット、完全参加型、買戻し請求権 |
タームシートは会社の未来と創業者の権利を決める最重要文書です。「よくわからないから」で済ませず、一条項ずつ理解し、必要な交渉を行いましょう。
NextFin会計事務所では、資金調達戦略の立案からタームシート交渉のサポート、資本政策の設計まで一貫して支援しています。「タームシートの内容を確認してほしい」「調達条件の妥当性を判断したい」という方は、お気軽にご相談ください。