はじめに
「この会社はいくらの価値があるのか?」——M&Aの価格交渉でも、VCからの資金調達でも、**バリュエーション(企業価値評価)**は避けて通れないテーマです。
しかしバリュエーションは「唯一の正解がない」分野でもあります。同じ会社でも、評価手法や前提条件によって数億円単位で結果が変わることは珍しくありません。
本記事では、バリュエーションの3つの基本手法と、実務での使い分けを解説します。
バリュエーションの基本概念
企業価値と株式価値
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 企業価値(EV) | 事業全体の価値。株主と債権者の両方に帰属する価値 |
| 株式価値 | 株主に帰属する価値。企業価値から純有利子負債を差し引いたもの |
| 時価総額 | 上場企業の場合、株価 × 発行済株式数 |
株式価値 = 企業価値(EV) - 純有利子負債
純有利子負債 = 有利子負債 - 現預金
手法1:DCF法(ディスカウンテッド・キャッシュフロー法)
最も理論的な評価手法です。将来のフリーキャッシュフロー(FCF)を現在価値に割り引いて企業価値を算出します。
計算の流れ
- 将来5〜10年間のFCFを予測する
- 割引率(WACC)を設定する
- 各年のFCFを現在価値に割り引く
- ターミナルバリュー(予測期間以降の価値)を加算する
DCF法のメリット・デメリット
| メリット | デメリット |
|---|---|
| 理論的に最も正確 | 将来予測の前提に大きく依存する |
| 企業固有の事業計画を反映できる | 割引率の設定で結果が大きく変わる |
| 将来の成長性を評価に織り込める | 計算が複雑で専門知識が必要 |
適している場面
- M&Aの本格的な価格算定
- 安定したキャッシュフローがある企業の評価
- 事業計画の信頼性が高い場合
手法2:マルチプル法(類似企業比較法)
類似企業の市場評価を基準に、対象企業の価値を算出する手法です。実務で最も頻繁に使われます。
よく使われるマルチプル
| マルチプル | 計算式 | 使われる場面 |
|---|---|---|
| EV/EBITDA | 企業価値 ÷ EBITDA | 最もポピュラー。業種問わず使える |
| EV/売上高 | 企業価値 ÷ 売上高 | 赤字企業・SaaS企業でよく使う |
| PER | 株価 ÷ EPS(1株あたり利益) | 上場企業の評価。安定した利益がある企業向け |
| PSR | 時価総額 ÷ 売上高 | SaaS・テック企業でよく使う |
マルチプルの目安(日本市場)
| 業種 | EV/EBITDA | EV/売上高 |
|---|---|---|
| 製造業 | 6〜10倍 | 0.5〜2倍 |
| IT・SaaS | 15〜30倍 | 5〜15倍 |
| 小売・サービス | 5〜8倍 | 0.5〜1.5倍 |
| ヘルスケア | 10〜20倍 | 2〜8倍 |
マルチプル法のメリット・デメリット
| メリット | デメリット |
|---|---|
| 計算がシンプル | 「完全に類似した企業」は存在しない |
| 市場の評価水準を反映できる | 市況によりマルチプルが大きく変動する |
| 交渉の共通言語になりやすい | 対象企業固有の事情を反映しにくい |
適している場面
- VCからの資金調達時のバリュエーション
- M&Aの初期的な価格レンジの検討
- 上場企業との比較
手法3:修正純資産法(コストアプローチ)
貸借対照表(BS)の資産・負債を時価に修正して、純資産額で企業価値を算出する手法です。
計算式
株式価値 = 資産の時価合計 - 負債の時価合計
修正が必要な主な項目
| 項目 | 修正内容 |
|---|---|
| 不動産 | 簿価と時価の乖離を修正(含み益/損) |
| 有価証券 | 時価評価に修正 |
| 売掛金 | 回収不能見込額を控除 |
| 在庫 | 陳腐化・評価損を反映 |
| 退職給付 | 未計上の退職給付債務を認識 |
適している場面
- 清算価値の算定(企業の最低評価額)
- 不動産や設備が主な資産の企業
- M&AのFloor Value(最低価格)として
3つの手法の使い分け
| 手法 | 向いている企業 | 向いていない企業 |
|---|---|---|
| DCF法 | 安定CFがある成熟企業 | 赤字のスタートアップ |
| マルチプル法 | 類似上場企業がある業界 | ニッチで比較対象がない企業 |
| 修正純資産法 | 資産保有型の企業 | 無形資産が主体のテック企業 |
実務では複数の手法を併用し、評価レンジ(幅)を示すのが一般的です。例えば「DCF法で50〜70億円、マルチプル法で55〜65億円」のように範囲を示し、最終的な価格は交渉で決まります。
まとめ
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| 基本の3手法 | DCF法、マルチプル法、修正純資産法 |
| 実務で最頻出 | マルチプル法(特にEV/EBITDA) |
| 最も理論的 | DCF法(ただし前提次第で結果が大きく変わる) |
| 実務の鉄則 | 複数の手法を併用してレンジで示す |
バリュエーションは「正解を出す」作業ではなく、合理的な根拠に基づいて交渉のベースを作る作業です。